八雲風穴の歴史

 


この地域は約 500 年前、隣接する寺の開山のころから「清涼山」と呼ばれ、冷風を発する地域だったと伝えられている。
この地がまだ海だった太古の時代に、火山爆発で海中に流出した溶岩が急速に冷やされ、隙間のある岩ができ、それが堆積して現在の地形ができあがったという説がある。
冷風が吹き出すのは、空気の対流により風穴から冬季の冷えた外気が吸い込まれ、地下の岩石が著しく冷却され、春から夏にかけてその冷却された岩石により岩の隙間の空気が冷やされ、地表に流れ出すためと言われています。

過去の利用状況

  • 明治 36 年頃、飯石郡 郡長の石原氏が穴を掘って石垣を築く。
  • 大正末期から昭和初期、養蚕が盛んで蚕の卵を冬眠状態で保存し、孵化時期を分け労働力の分散化を図るために利用される。
  • 昭和 23 年から昭和 34 年頃まで、大阪営林署が国有林の樹種の保存のために利用。
  • その後、昭和 42 年頃まで、出雲市の茶業者がお茶の保存に利用。
  • 昭和 60 年、特用林産物集出荷施設として現在の建物を建設。地域の特産物である、椎茸、栗、ワサビ、お茶、くわい等の一時貯蔵庫として利用。貯蔵庫は地下 3 階構造となっており、地下 1 階の温度は 10 度、地下 2 階では約 5 度であり、肌寒さを感じるほどである。地下部の深さは約 8.5m 。
  • 平成 7 年に管理棟を新設し現在に至っている。